作曲と作響のはざまで

2017/05/18

 

これは好みの問題なのかもしれないが...。

こんな話がある。...
あるとき偶然に武満はシュトックハウゼンとクセナキスが同宿になっていることを知り、二人を共に知ってるのは彼だけなので「紹介」しようとした。
そのときに確か、クセナキスだったか。

「トオルのその博愛精神のようなものはキライだ」と言われたというエピソードがある。
基本的に作曲家同士というのは一流であれば有るほど仲が悪い。

「シマ」を作る程度なら可愛いもので、「個」が異様に強いのが本物の作曲家には多い。

それは彼の作風にも現れていて十二音技法を否定していながら、数字や図形などは平気でやるようなところがある。

私は情感か、計算やシステムであってもそれが無意識にはたらいている場合はそこだけ耳が反応するのだが、意図的にはたらいている部分は全く興味がない。(作響自体は嫌いではない)

彼の出世作である「弦楽のためのレクイエム」にも実は十二音技法が使われている部分があるのだが、途中で馬鹿馬鹿しくなって止めている。そこが素晴らしい。

時代もあったのだろうし、彼の受け皿が異様に大きかったとも言えるのだが、私は彼が数字やら言葉を音名に置き換えたりしている時代のものはあまり好きではない。
答えの分かってしまう可能性のある音楽ほどつまらないものはないから。彼の推理小説好きもそんなところから来ているのかもしれない。

誰かに見つけて欲しいという孤独な欲望が露骨に出てしまっている作品はあまりよくない。専門作響家は反対に「そこ」が好きなんだろうなぁと感じる。必ずテキストで構造や、作曲の経緯を説明できるなんて私には信じられない。

彼の多義性は天才的だがとりとめもなくなってしまっているところに「前衛」という時代の圧力の大きさを感じる。そして幸せで楽しそうに書いている人間に良い曲は無い(個人的に思っているだけだが)。

嘘でもいいから絶望的なふりして「明るい響き」を書いて欲しかった。彼の中期~後期は響きこそ厳しさと繊細さを増しているし、評論家の評価は高いが私にはそれがまだ分からない。

幸せにならなければ永遠に分からないかもしれない。

私は「個」や「孤独」を描きたい。
現代のそれが戦後より厳しいときがあることを。それがどう響こうとも構わないが。




文責:彦坂


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