サクリァイス

2016/12/30 [映画・映画音楽]

 

【A.タルコフスキーの遺作】

「サクリァイス」 Offret(スウェーデン語名)(1986)

監督 アンドレイ・タルコフスキー...
撮影 スヴェン・ニクヴィス
音楽 J.S.バッハ他

天才的な映像詩人タルコフスキーの遺作にして最高傑作との呼び声が高い本作。
私はまだ一度しか観ていないので、未だ本来の価値を知ったとは言えないが一回目の感想を記してみよう。

これは黒澤明の遺作「夢」と同様、監督の本来の持ち味(核となる部分)は出しきれていないように思う。何かフォーカスが惚けてしまい上澄み液だけが残ったかの様な。
反感を恐れずに述べれば、老いた映画監督の色ボケトンデモ映画とも取れてしまう。
勿論、そんなことはなく、タルコフスキーの作品は隙のない映像美と様々な隠喩に満ちているのだが...。

人間の愚かさを再度伝えたかったのであろう。
タルコフスキーの作品は筋をなぞってもネタバレにならない強靭さがある。彼の作品は詩であるから解釈のは多様である。
大まかに書くと、登場するのは数人。
・夫・アレクサンデルと妻
・無垢な息子と反抗期の娘
・その召使いの若い女性二人
・更に外部から医者と郵便配達人

実はこの登場人物達が既に互いに解り合えぬ世界各国を模しているとも言えよう。
アレクサンデルの誕生祝いで全員が集まっているさ中、「核戦争(無いことを祈るが第三次大戦)」開始のニュースがテレビから流れる。
妻は絶望のヒステリーを起こし叫び散らすが、医師によって沈静薬を射たれ落ち着く。
この妻は夫への愛情は冷めきっており、実はこの医師に気がある。
さらに同調するかのように若い娘も・・・医師は馬鹿馬鹿しいとその場を離れる。
一方、アレクサンデルは郵便配達人に意外な真実を告げられる。
「君の家の召使いの一人マリア(キリスト教のマリアであろう)と寝なさい、彼女は魔女であり、彼女を愛することが世界を救う唯一の方法である」と。
このマリアはアイスランド出身という設定になっているが、若いのに近所に一人住まいであり、妻も日頃から「あの子は理解しがたい」と話している不思議な娘である。

アレクサンデルは覚悟を決め、置き手紙をして夜中にマリアの家に夜這いする。そして、自己犠牲のためマリアに懇願。
マリアは最初は困惑するも、実はアレクサンデル家の夫婦仲の悪さと、妻の人使いの荒らさに辟易しており「可愛そうなアレクサンデル様」と関係を作る。

そして夜が明けると、そこには核戦争はなかったかの様な晴々とした光景が広がっている。夫が家を空けたことへの不信感を募らす妻と「もう、君らのお守りはゴメンだ私はオーストラリアに行く」と漏らす医師。
あい変わらずマイペースの娘ともう一人の健康美の召使いの女が朝食を摂っている。
アレクサンデルは世界を救ったとはいえ、召使いに手を付けた罪悪感に苛まれながら家に戻り隙を見て我が家に火を放つ。
このときに薪がわりにするために、テーブルに椅子(原罪の暗喩)を積み重ねるシーンがあるが、それはまるで「シジフォスの神話」を想起させる。
平和であることに変わりはない。
しかし家に火が点き、再度混乱する人々。
頭がおかしくなってしまった主人のために呼ばれる救急車。そこにいつも通り出勤してくるマリア。
ラストは話せなかった息子が「なぜ初めに言葉ありきなのパパ?」と声で呟く。

何とも詩的である。
・・・・
タルコフスキーの映画は多くの芸術家に愛されている。
武満徹やルイジ・ノーノ、大江健三郎、坂本龍一氏もファンであるそうだ。
やはり一級の芸術家に響く何かがあるのであろう。私なぞはまだ表層しか見えていないと感じる。

彼の映画はまず、純粋に画が美しい。
そして登場する人々も一見平凡そうに見えるがミステリアスな面を見せる。映画に色気があり、それと並行して厳しさがある。
そして「水」への偏愛や「木や森」への尊敬が必ず入っている点などが挙げられよう。
単なる自然賛美でもなく、安っぽい人間ドラマでもない。社会派の説教臭さもない。
一つ一つの単元は寧ろ解りやすいのだが、それらの繋がりが錯綜していたり飛躍していたり、安易なストーリー・テリングを排しており難解に感じる。一言で述べれば「哲学的」なのである。こういったものが本来の「芸術」であろう。
多くの人に核心を簡単に掴ませるものが「ポピュラリティがある映画」とすれば彼の映画はその対極と言えよう。
私は「鏡」、「ストーカー(案内人)」に特に感銘を受けた。
「惑星ソラリス」ももちろん素晴らしい。

「ノスタルジア」をまだ観ていない。

それにしても映画音楽も大バッハが出てきてしまうともう何も付け足すものが無くない。無力感に陥る。


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