現代音楽2

2016/12/30 [作曲家]

ある音楽学者は「シェーンベルクは「後期ロマン派」に入れましょう」と言っていた。
これはなかなか面白い視点である。
A.シェーンベルクは無調への「橋渡し」の役割をしているので丁度「鎹(かすがい)」なのである。作曲作響への橋渡しをしてはいても精神性はロマン派であるからであろうか。

音楽の歴史は面白くてドイツの三大Bの「バッハ・ベートーベン・ブラームス」は皆、アカデミックな音楽教育を受けている(学校などには行かずとも父親や環境を通して)。
叉は「ハイドン・モーツァルト・ベートーベン」を「ウィーン楽派」と呼ぶ場合もある。

それに引き換え新ウィーン楽派の「シェーンベルク、ベルク、ウェ(ヴェ)ーヴェルン」はツェムリンスキーの個人教師が絡んだことはあるにせよ基本的に独学である。
少なくとも最初から音楽では食べていけず、サラリーマンやら公務員をしていた。
ベルクは母親が皇帝の愛人だったので莫大な資産があり、音楽院に進まされそうになったのを泣きながら断ったりしている。
勿論、それは師匠シェーンベルクから離れたくなかったから。
彼ら(シェーンベルクとベルク)はマーラーやリヒャルト・シュトラウスの後継者なのである。そして同時に音響作家のストラヴィンスキーを軽蔑していた(作品によっては認めていたし音楽家としての偉大さは認めていたであろうが)。

私が感じる限り、本当に現代音楽を志向したのはヴェーベルンであろうと思う。彼の音楽は師・シェーンベルクの無調(作響の部分やSystem)を更に過激に「純化」している。

つまり、作響家19世紀20世紀の橋渡しの向こう側に本当に行きたがった(結果的にそうなったとも言える)のはストラヴィンスキー、ヴェーベルンなのである。
彼らはいいメロディが作れなかった点が共通している(シェーンベルクとベルクの何とロマンティックなことか)。
それなので「メロディ」はひたすらまねるしかない。
ストラヴィンスキーも晩年は少し古典へ回帰したりもしているし、一概に分けてしまうのはどうかと思うが...。

シェーンベルクとベルクはとてもロマンティック。
シェーンベルクは橋渡しをしておきながら、例えば「五つの管弦楽(op.16)」で「作響」をやりだしたが精神性は常に「ロマンティック」なのである。
ベルクは未完のオペラ「ルル」や生き方が「地獄のアリア」と言われるくらいロマンの塊。
それは最後にはシェーンベルクですら、たじろぎ敬遠したほど。

ちなみに「現代音楽」の源流は誰なのか?
これが、クロード・ドビュッシーなのである。
彼は美しいメロディも作れるが、最後は響きに注目が行っている。晩年に名前だけは形式的な「ソナタ」というな名作を残しはしたが。

また一方で別の方法で調性から無調(彼らは無調でありながらギリギリ作曲をしている)に辿り着いたのがロシア帝国、ソ連の面々(ストラヴィンスキーは別格で置いといて)。
「スクリャービン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ」である。

これを理解するまでには本当に時間がかかる。
実は「調性の有無」と「前衛性」は簡単には分けられないのである。
「調性からはみ出した極点の無調」というものが存り、それがロシアの面々なのである。
そして少しずれた位置のオーストリア=ハンガリー帝国ハンガリーにはバルトーク・ベッラ(後に米国に亡命)がいた。
彼も「十二音技法」とは別の方式で無調にたどり着いている。

シェーンベルクは「システム」としての「十二音技法」(機械的無調)と「調性の拡張における無調」(「調的無調」という矛盾した言葉がしっくり来る)の両方を試したところが偉大なのである。

また、日本や世界でなぜ武満 徹がここまで評価が高いのであるのか?
疑問に思う方も多いであろう。
「独学だからたまたま行ってしまった」と。
実はこれは真実の一面を突いてもいるのである。

フランスに留学し、ノエル・ギャロンやアンリ・デュティユー(直接は習っていない)に学んだ、矢代秋雄、三善晃(彼はレイモン・ガロワ=モンブランに習ったがデュティユーに私淑)と比べて「書法の古典的厳しさ」という一点に関して劣っている。

しかし、彼はアカデミズムに触れないことによって、両方の側面に予備知識なしでぶつかり、触れることができたのであろう。
そして、現在は武満よりも「前衛的である意味優れた音を書く人」は山のように居る。
しかし、なぜか悲しいことに五十歩百歩で死屍累々にも見えてしまう。
実際に武満も自信を無くすほど「技法が巧みな人達」なのにである。

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