映画「怒り」監督/脚本:李相日

2017/05/16 [映画・映画音楽]

【現代日本の「迷い」を真っ向から描いた傑作】

「怒り」(2016)

監督/脚本:李相日...
原作:吉田 修一
音楽:坂本 龍一
出演:妻夫木聡、綾野剛、森山未來、松山ケンイチ、渡辺謙、宮崎あおい、広瀬すず、高畑充希 他

原作は読んでいないのですが坂本龍一さんが今すごい勢いで映画音楽をやっているので(「レヴェナント」と「母と暮らせば」なんて同時になさっていた)、新作も観に行きました。
二時間超えというのは傑作であっても、泰西の名画でも私にとって苦痛になるケースが多いのですが、この作品は一気に持っていく力がありました。

安易に「ミステリー」「サスペンス」などとカテゴライズをしてしまいたがる傾向がありますが、この映画はもっと「哲学/文学」を有しています。
誰もが向き合わなくてはならない「生と性」、「愛とは何か」、「本当の優しさ」、「信じる勇気」、「疑う勇気」...。
こんな風に言葉にしてしまうと安直すぎて敵いませんが、そんなものを考えさせてくれる映画でした。

外形としては「全く別の境遇に居る3人の男のうちから真犯人を見付ける」というミステリーですが、そこに彼ら(彼)に殺された人、彼らを愛し興味を持つ人、訝る人、職務から逮捕しなくてはならない人など、周囲の人間の葛藤と慟哭も入り交じっていました。

人間は究極的には「孤独」なのです。
一人では生きていけないものなのです。
何せ人から生まれているのですから。

様々な人間がなぜそうなってしまったのか、何に怒っているのか、何を信じれば良いのか、愛するとは何か、本当の愛とは何かという永遠の課題に登場人物の全員が真剣に対峙しています。
娯楽映画も良いですが、たまにはこういった見ていて苦しいけれどもまともに「生」を考える映画も観てみてはいかがでしょうか。
身勝手な犯罪者には同情できません。しかし、なぜそういうことになったのか、犯罪者の心を考えることは大切です。

もはや現代は単なる社会的制裁だけでは済まないのです。

人を裁くことなど人にはできない。
神も仏も居るか分からないし。
いつ自分が命を奪う側に、奪われる側に回るか分かりません。
戦争という極端な形を取らずとも日常が実は「闘い/サバイバル」でもあるのです。

私が非常に気になるのは、現代人の感性の鈍さです。
どうも安易に他人や自分に制御をかけている人間が増えている気がして仕方がありません。ただの一度の発言だけで人を判断したり、ソリの合わない人間は簡単に見切りをつけ、ラベルを貼って終わり。

戦時という非常時には「生きる」ということが当たり前ではなくなるため否応なく「自己や他者との対峙」に直面させられます。
しかし、平時にはそれが「当たり前」になってしまい非常に表層的な人生しか送れていない人も多いように思います。
ただ、食ってくだけではあまりにも浅い。
「楽に生きる、自然体で生きる」などという安易な考え方は平和ボケした人間の発言です。

明日が来るのは、いや今日一日暮らせることは決して「当たり前」ではないのです。
スケジュール帳を埋めてこなすだけの、無意味に埋めるだけの人生になっている人のどれだけ多いことか。

奇跡的に生きているということ。
人を愛したり、憎んだり、近付けたり、遠ざけたりすることを恐れてはなりません。主体的に生きるのです。誰もあなたの人生を決めてくれたりはしません。待ってはいません。
だから「怒る」のです。
本当に生きるとはそういうことなのです。

Virtualな仮想空間が発達した現代だからこそ余計に生身の人間の「美しさ、醜さ、どうしょもなさ」がよりリアルに見える時代に突入しているとも言えます。チャンスでもあるのです。

それを忘れる様な事があれば、いつか「生きる」ことが当たり前ではない忌まわしき「戦争」を自分の手で引き寄せてしまうことでしょう。対話が怖いため、面倒臭いために爆弾で邪魔者を消してしまおうというのが戦争です。

人の事を安易に判断してはもったいない。
せっかく二人で会っているのにスマホばかり見ているカップルに、家族が居てもそれすらヴァーチャルにしか捉えられない現代に本当に幸福はあるのでしょうか。
お金や将来設計なども勿論大切ですが、本当に大切なのは「現在を生きる」ことなのです。

有限な命をいかに生きるか、テメェで考え抜くこと。
何が正しくて悪いかを裁くことは本当に難しいものであることをこの映画は提示してくれています。

私が敬愛する作曲家の一人である、坂本龍一という音楽家は数少ない本物の「映画音楽家」(安直な劇伴屋が多い中で)です。
音楽で、ここまで映像を動かすことができる人は今の日本にはなかなか居ません。世界的にも少ないでしょう。
何となく場を盛り上げられる技術をもった人はやたらと増えているけれども。
今の芸能界、音楽界のシステムにも問題があるのですが、そんな中でも彼はやはりずば抜けています。

何故か。簡単なことです。
彼が真剣に「音楽」と向き合っているからです。誰よりも「映画音楽」が好きだからです。
映画を死ぬほど見ているし、環境にも政治にも興味があるし、本当に訴えたいものをもっている。その方向性は違ったものでもいいのです。
情熱があるかどうか。

そんなところが今の音楽家には欠けています。商業音楽だからクライアントが全て、観客が全てではないのです。
音楽が映像を引っ張ってやる。ただ寄り添うだけのお飾りも悪くないけれど、何か物足りない。そんなこと言ったって今はまともにラッシュ、いや台本も見られない(音楽のないお化けの状態)状態でやらねばならない。
そんな苦しみも理解できます。そんなものは断ってしまいなさい。
本物の音楽とは何かを、音楽家が教えてやらねば拝金主義の企業はいつまで経っても変わりません。他に誰が彼らを動かすのですか?

坂本龍一は死と真っ向から向き合ったことで更に恐ろしいほどの飛躍を遂げていることをひしひしと感じました。そして、今までも真っ向勝負してきたから世界レベルの本物の映画監督や企業ですらも声をかけるのです。

音楽は人を変えることができるということを音楽家は自覚するべきです。
音楽は決して無力などではありません。
音を楽しむのは聴衆です。
音楽家はそこに楽しむ以上の何かを見出だしていなくてはなりません。
好きな言葉ではないけれども「啓蒙」です。
単なる娯楽にするにはあまりにも惜しい。
それが音楽です。

私はここ数ヵ月1日に一本のペースであらゆる時代の、国の、ジャンルの映画を観ていますが、その中でも格別な映画体験でした。

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