ウィリアム・ブレイクの善悪から考える音楽

2018/11/13

・一般的なキリスト教

(善)受動的/理性/天国/魂
(悪)能動的/精力/地獄/肉体

ウィリアム・ブレイク(英・詩人、銅版画家1757-1827)は(悪)を肯定していく。但し、これはあくまでも相対的なものであろうと思う。

世の中がキリスト教的な(善)で動いている際に、それが「枷(かせ)」になっている場合がある。自己を開放する為に敢えて(悪)を選ぶのである。

音楽も(Major/dur/長調➡硬く強制的)という呼び方から分かる通り、善が優位に見える。しかし、これは非常に古典的で空疎である。
(Minor➡柔軟で変化を伴う)は自分で選びとることでしか手に入らず、更に人工的に変化を与えることが可能である。

神に逆らうことが良いと云うわけではない。そちらの方が楽なのである。「長いものには巻かれろ」という合理的な生き方。

そうではなく、能動的に生きてこそ「人間」であろうということをブレイクは言いたかったのではないだろうか。
ただただ、神にすがる。
念仏さえ唱えていれば救われるなどというのは怠惰に過ぎない。政治家や宗教家が都合の良いようにねじ曲げた価値観。
絶対的な「愛」などというものは安直である。
神話の「神の愛の行い」を見る限り、それらは限りなく「悪」に近い。

言葉や響きのイメージに惑わされては見えないものがたくさん出てきてしまう。
見えてしまうが為に自己責任、お前さんのケジメは自分で付けなさい、という厳しさ(地獄)を孕むのであろう。
「善悪の分け方自体」が大切なのではなく、己がで己の道を選びとる勇気を持ちなさい。
ということ。

音楽にも全く同様のことが言える。
深く学び「核心」を知れば知るほど、学校やら一般常識(古典的キリスト教的な音楽)がいかに矮小なものであるかが分かってくるのである。
それと同時に、ただ二種類とその多少の陰影だけで浅はかに音楽をやっていたほうが楽であり、売れていくという理不尽さをも痛感するのである。



ただ、私はそこに「面白味」を感じないだけである。徹底的に面白く生きる、そこには否応なしに地獄が待っているが何を怖がることがあろうか。それこそが「創作」と呼べる確かなものなのだ。
 
文責:彦坂

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