【Total Recall-suiteと最近の映画音楽】 Composer/Jerry Goldsmith

2019/03/13




様々なスタイルを持った音楽を「自分の音楽」に統合できた稀有な作曲家です。
ジョン・ウィリアムズも多彩な語法を持っていますが明らさまなところがあるのです。
ただ、明らさま=ポップであったりもするので作曲家は悩むのです。

日本の映像音楽作家はまだその「悩み」が不足している気がするのです。
勿論、周囲がオリジナリティなんぞを求めていないという悲しい現実もあるでしょう。
「~みたいな路線で」、「~風に」という監督の次元の低い依頼に応えるには「割切り」が必要でもあるのです。

それを平然と無視ができるかどうか。
そこに一流とその他大勢の差があるのです。
日本の映像音楽作家でToru Takemitsuが群を抜いているのはその部分です。
彼は「映画音楽」を「実験台」にしか思っていなかった部分もありますが、その一方で本当に映画が好きで堪らなかったのが伝わってくる。


寧ろ、一部の作家が忙しすぎなのかも?
業界側が、作曲家に「本物」を書かせる余裕すらないのです。
また作曲家も「職人」だからという割り切りだけが前面に出ていやしないか?
それで良いとする周囲の「耳の鈍さ」も大変気になります。

ゲーム音楽、キャラクター物(ゴジラだの、アニメ)なども過去の作品を越えられない。
確かに時代には抗えないですし「そんなこと言ったって売れなきゃよぉ」という意見も最もですが、それでは余りにも悲しくないかい?と思うのは私だけではないはず。

クラッシュを極度に恐れるし、内声の動かし方すら知らない。実は内声も作曲なのですよ。
安易に「サウンド(音響)」に逃げるのではなく、全声部を歌わせる。 
「山が来たらホルン」(by山本直純)を知った上で変えていくのです。

「ハリウッド・スタイル」なんてものは存在しないのです。
「バークリー・メソッド」と同じくらい「インチキ商法感」が漂っています。
それ自体が悪いというより、アカデミズムの安直さ、若しくは疑いのない純粋=バカさね。

東音の映・放や洗足の音響デザインの出身者にまともなのがいないのは、インチキ臭さを微塵も疑わない精神に溢れているからです。
一時期はそれが栄えましたが、もう教えてる先生が古すぎます。
本物は「抵抗」するものです。
似たり寄ったり、代役は幾らでも居るというサラリーマン状態が主流では「情けない」のです。

ジェリー・ゴールドスミスやジョン・ウィリアムズの代わりは居ないのです。
バーナード・ハーマン、アレックス・ノース、ミクロシュ・ローザ、レナード・ローゼンマン、ヘンリー・マンシーニを超えてやる。

無理でもそう思っていて欲しい。
ハンス・ジマーやらハリー・グレッグソン・ウィリアムスなどどうでもいいのです私は。

フランスならモーリス・ジャール、ジョルジュ・ドルリュー、フランソワ・ド・ルーべ、ミシェル・ルグラン、フランシス・レイ。

イタリアならニーノ・ロータ、ピエロ・ピッチオーニ、そしてエンニオ・モリコーネを聴き込む。

難解な映画を耐えてでも観る。
そんな姿勢が皆無になったのが今の安直な映像音楽です。
こなれたのはスタジオワークと安直なオーケストレーターの選出とDAW操作だけ。
クズのサントラは売れなくて結構。
今の業界を作ったのは作曲家の責任です。
音楽を蔑ろにしているものが大家になっている。



文責:彦坂

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