Lydian Chromatic Conceptについて(1)

2019/03/27



現在、多くの人々が「調性音楽」という言葉を使う場合、それは「長・短調」を指していることが殆どです。
それくらいこの「Major Keyやminor Key」というものに「浸透力」が有ったとも言えますし、いかに皆が「お人好し」だったかという風にも言えます。
「あれはが神様だよ」と教えられて、何の疑いもなく信じる人、疑いすら感じない人が9割以上(少なくとも日本において)というのは奇跡的なことではないでしょうか。

実は、この「長・短調」も精々が200年程度の歴史しかありませんが、今後も暫くは本当に優れた耳を持った人と、熱心な教育者以外はここを基準にしか音楽を聴くこともないでしょう。

20世紀にはこれにハッキリと「挑戦状」を突き付けた音楽家も居ました。
それは西洋のキリスト教的発想から自由で、発言力もあるアメリカから多く挙がっているのは当然とも言えるかもしれません。

しかし、それから100年近く経った今でもやはり「解りやすく、教える時に都合の良い」二元論はやはりデーンと中心に居座っています。これは「頑固オヤジ」みたいなものなので暫くは言うことを聞いておいた方が利口です。

反論や新定義などを打ち出そうものなら既得権益にまみれたアカデミズムに「無視」を食らうか、下手すると「異端審問」に掛けられかねません。

実はその教育界のトップたちは「長・短調」など「旧いもの」として見向きもしていないところに矛盾があるのですが...。

ジョージ・ラッセルの「リディアン・クロマチック・コンセプト」が際立っているところは、そんな中で「より合理的な解釈をしよう」ですとか「リディアで全て作れ」等とは言わないところにあります。
「禁則」を作らないと保たないような儚くも美しい「長・短調」を認めながらも、更にしなやかな調性のグラデーションがあることを教えてくれるのです。

本来は「全ての音(噪音も含め)」や「自然倍音」を最大限に重視してどこまでも「合理的」に音楽を追求しようというのが「進歩的な発想」と感じるかもしれませんが、宇宙探査技術の分野を見たらどうでしょう。ここから先は危ないよというところにまで来ているようにも思えるのです。

これは「永遠の生や、性の快楽」の追求にも似ています。
最先端の科学やら、非合法薬物を有効利用すればまだまだ行ける様にも思えます。
しかし、人間という個体はとてもそれに耐えきれるだけの感性も、体力も備えていないですし、ここから先も数百年程度でそれらを受け流せるほどに進化するとも思えません。寧ろ、科学の進歩と共に、人間の感性は鈍ってきているとすら言えます。
煽る訳ではなく、現実的にそうなっています。

今、街で流れている音楽やテレビで流れる音楽のインスタントがあることか…
こんなところから始まってしまった平成生まれの感性が瑞々しくも新しくも何ともないことが多いのは当然だとも言えます。
しかし、それは戦後の様な渇望とも異なるのです。
あまりのモノの多さに最初から諦めているか、割り切っているようにすら思います。

かといって悲観する必要もありません。
実は音楽教育を根本から見直すか再構築する好機でもあるのです。






文責:彦坂

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