ラッセルの苦悩(Part2)~「理論・メソッド」を求める人に「哲学・概念」を伝えることに腐心した音楽家】

2019/06/28


彼は実に偉大な音楽家であったと私は改めて思います。
あの頑固で偏屈で天才のマイルスが、頭を下げて教えを乞うたのはラッセルとG.エヴァンズくらいでしょう。


天才ピアニストB.エヴァンズ(上のとは別人、後年の同姓同名のサックス奏者とも違います)ですら差別して虐めたのですから。


彼は重力と同じくらい「調性」は絶対的なものであるというところが起点なのです。
そしてその中心が「リディアン・トニック」というもの。
これは作曲家や即興演奏家がまるで旅行者の様にその都度変えても構いませんが、1つに絞れば絞るほど凡庸な一般人たちには伝わりやすくなります。


オーネット・コールマンがなぜAKB四十八(しじゅうはち)の様に愛されないかというのは彼が「着地」を拒んでいるからです。


いや、勿論着地はします。
人間ですから。


ただ、可能な限り宙空に浮いていたかったのがオーネットなのです。
私も彼の良さは未だに3%も分かりません(コンセプトは理解できてきましたが)。


完全五度というものはコズミック・モジュール(宇宙的な器官、ボリュームのつまみ...訳はイメージで構いません)である。と武満徹は見抜いていたし、感じたのです。


それが本質的に理解できていないか、あくまでも頭で理解できないものは拒絶するのがアカデミズムの弱点なのです。
彼らは論理的に整合性がないものは採用できません。西洋医学が東洋医学をバカにしているのと同じ。
見えないものを有るなんていうのはナンセンスだよ。言葉で説明できないならそれは音楽としてもだめかもしれません。
というところが必ずどこかにある人達なのです。


生活のため地位保全のために汲汲としているのは当然のこと。
サラリーマンと変わりません。
芸術家は一人も居ないと言っても良いくらい。
本当の芸術家は…
ハーマン・メルヴィルが良い例です。
武満は本物であり、かつ世渡りが上手かった。
本当にそんな天才は二度と出ないでしょう。


さて、ラッセルは「モード」と言っても教会旋法の整理に興味が有ったわけではありません。


彼はトニックという足場を固めたかった。更にそれが論理的ではなく、感覚的に絶対視できるものを選んだのです。
水や酸素を否定するのはほぼ不可能なのと同じくらいに確かなもの。それがリディアントニックです。
論理にも感覚にも同じ強度で訴えかけて来るようなものです。


重力があるからこそ、無重力(数少ないほんものの無調音楽)も見えると言い切りました。
彼は後半ではベルクまでも、まな板に載せています。


しかし、彼も人間ですから人々に伝えたかった。常識からかけ離れていても、どのくらいかけ離れたかを示したかったことでしょう。


その典型的な事例が「#1(♭9)」をどう扱うかだったのです。オクターブを2分割する「#4、♭5」、3分割する「Augment5th」、4分割する「Dimnish3rd(#2)」、6分割する「Wholetone」の前に12分割する「Chromatic1」が出て来てしまった。ありゃぁ困ったなと。(ちなみに5分割は古典西洋音楽的には無い。歯抜けの民族音階、メシアンの頭でっかち旋法ならあり)
調性的にはかなりIngoingなのに、Vertical Crushを起こしてしまう音。
これを「ホリゾンタル調性引力」と呼んだのです。
あっそうか、無理に陳腐なバークリー`sコードにする必要がないんだ!
三度堆積に縛られていたのがダメだったと気付いたのです。


これは0や音感や球体や宇宙に涯がないのと同様(少なくとも何処かで割り切らないと収拾が付かない)のレベルの話なのです。


彼はTone Orderという言葉を使っていたそうです。
書籍にも「序列」と訳されています。
音は単音で存在することが可能です。
それは機能和声という狭い枠組み(これはこれで良くできた体系です)には収まらない。


もっと広く調性を捉えるために「音の並べ方」を追及していたのです。
そのときにこのトニックの半音上を認めてしまうと、いきなりクロマチック何でもありの世界に突入してしまうので、避けただけなのです。
概念を知り、感覚が追い付いてくるとCがトニックであくまでもD♭はコンソナンスな音ということが理解できてきます、数年はかかりますが...。


濱瀬元彦の批判など全く的をはずしていることがよく分かるかもしれません。


ラッセルはあまりにも凄いものを見付けた為に、誤解や無用な攻撃を回避するためにライセンス制にしたのでしょう。
本来はそんな遠慮も無用なのです。


12音やトータル・セリエリスム、ピッチクラスセット、微分音などもとても面白い試みですが、調性をなおざりにしたところに限界がある。
調律を変えて音程を弄ろうが変わらない部分があるということです。
そこに科学で人工の塔を立てることは構いませんが、人間の生理には限界があるのです。






ちなみに、いきなり武満は苦しいということは私も百も承知。
ドビュッシーまで戻りましょうか…。


彼の晩年も相当にぶっ飛んでますよね。
学者は理論化して通過していますがね。あれも発明の一つ。純然たる創作です。
訳の分からぬすごいもの。






文責:彦坂
 

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