「音の連続移行性」が考慮されていない。

2019/07/29

実は、濱瀬元彦さんの書いた「ブルーノートと調性」は「リディアン・クロマティック・コンセプト」の「コンセプトの組立かた」を模しているのである。

彼はL.C.Cは「音の連続移行性」を考慮できていない為に説得力に欠けると書いているのだが、そもそも音に連続移行性などは最初から存在していない。
それこそ、後天的に身に付けた「認識術」とでも呼んだ方がいいだろう。

どこの民族でも「ド」が来たら「レ♭」が次に来ると思うであろうか?
これこそが正に「ホリゾンタル調性引力」と呼ばれるもので、倍音から発想している「ヴァーティカル調性引力」と分けて考えなければならないのである。

そこには主観や経験則が入ってくるし、民族によっても結果は異なる筈なのである。

メロディを理論で作るのが難しいのは当たり前で、メロディこそが自然発生的、感覚的であるからこそ「メジャー」か「マイナー」に絞って書いてあるのである。

ラッセルが少し甘かったのはチャーチモードに全く触れていないところと「ブルー・ノート」について盲目的なところである。
それは彼が根っからのジャズマンであることを語っている。

また、ラッセルは当然ヒンデミットの「音程根音説」は知っていたと思われるし、音程優位の考え方はヒンデミットの理論と似てはいるが、結果は全く掛け離れたものになっているのである。

ラッセルは三度に関しては「曖昧」であるため、遮断しているのである。
勿論、結果的に三度は現れてくるがフェーズ1には持ってきていない。

下方倍音、三度、音の連続性などフェーズ1から既に「仮想と現実」がない混ぜになっ作られた「理論」とは大違いなのである。

ラッセルは答えを出していないところが偉大であり、彼は物の全うな見方の一例を見せてくれているのである。


文責:彦坂

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