旋法と音響とゲルマン至上主義

2019/08/11



近代作曲家において私なりの色分けをすると、

◼旋法派
ラヴェル、バルトーク➡メシアン

◼音響派
ドビュッシー、ストラヴィンスキー➡リゲティ

となります。
更にベートーベンの構造と精神を突き詰めるゲルマン至上派を入れると、

◼ゲルマン至上派
マーラー、シェーンベルク➡ベートーベンが好きな人

となり無調への系譜も複数存在することが分かります。(派というものは排水溝みたいなもので行きたくて行けるものではありません)
えっ、マーラーが?と意外に思うかも知れませんが、新ウィーン楽派(シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク)の精神的な支柱はマーラーにあるのです。

音楽史を紐解いてみるとこの中で「革命」を起こし評価が高いのは常に「音響派」です。

理由は単純。それは分かりやすいからです。

「多い(分量が)、デカい、物理的に細かい、キラキラしている」

おバカでも分かるというところがポイントです。見れば分かるやんという。また、ゲルマン至上派も常に一定数の信者を保っているので基本的には消えません。

そして、この中で一番危ういのは「旋法派」なのです。

「ウタ」というものは論理的ではありません。思い立ったことを有りのままに。なんていうのは「論理的ではない」ですから、評価は当然下がります。ある種、ジャズ、ポピュラー音楽と似たところがあるかもしれません。

勿論、この色分けは大まかなもので実際は三色が入り乱れています。国別や年代別にするだけでは本質は全く見えません。

例えば、バルトークは民謡採集とモード追究の鑑みたいな人ですが、実はベートーベンを尊敬し、規範にしていたりもしますし、非常に音響的な作品もあります。
寧ろ、三点を同時に極めようとした稀有な存在と言えるかもしれません。

しかし、人間は根本的な相性はカモフラージュができないのです。
バルトークが、ドビュッシーより愛されることはなかなか難しいことでしょう。
ラヴェルも玄人には受けが良いのですが「ラヴェルが好きです」などというと作曲家の中では「保守的な方、まだまだだな」と思われかねません。
「新古典派」などと呼ばれてしまったりして。

武満徹はそういったグラデーションに敏感な人でした。
バッハを愛し、ドビュッシーやメシアン、ベルクを規範にしながらも本当は「ウタっていたかった」人なのです。
評価をされないことには「ウタ」は聴いてもらえないからです。
しかし、向き不向きはどうのしようもありません。彼はそれに気付き独特な矛盾(アンヴィバレンツ)に満ちた音世界を作り上げたと言えます。「タケミツ派」とでも言うしかない後にも先にも彼一人という。

自分の適性をいかに早く見極めるかは作曲家にとって結構大切なことかもしれません。




文責:彦坂

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