過小評価の典型・アストル・ピアッツォーラ

2019/08/31



ピアソラの音楽の中で皆が知る「ベスト10」の様なものに名曲は1つもないのかもしれない。

私が言っているのは、あくまでも本物の音楽かどうかという意味であり、それがポップスとして大衆が喜びそうな響きに溢れているかどうかは関係ないです。
しかし、大衆的な先入観は残念なことに、優れた音楽家の耳からもピアソラが本当に書いた、書きたかった音楽を門前払いさせている。

日本で言えば、YMOの音楽や「Merry Christmas Mr.Lawrence」が、真の坂本龍一の音楽を理解することを妨げている様に。

スキャンダラスな事柄や作品が世に出るきっかけになることは結構なことであるし、自身の感性でモノを評価できない9割5分の人間に対してアピールするには一度は「売れる」しかない。
これが悲しい現実である。

しかし、それにしてもピアソラの評価の歪み方は尋常ではない。
武満が大衆的要素を持ちながらも、そちらに行くことをひどく恐れたのもよく分かる。
(彼はポピュラーの語法を敢えて身に付けなかったようなところがある)

キャッチーなものが世に出る切っ掛けになり、そこから更に本物を聴かせる為には、野鳥の餌付けの如く順々に試験問題を難しくしていかなくてはならないのであろうか。全く馬鹿げた話である。

世の中に「剣の舞」の作曲家として認知されているアラム・ハチャトゥリアンは「こんなこと(イメージが固定化すること)になると知っていたら私は絶対に''剣の舞''など書かなかった」と言っていたことが全てを表している。

ラヴェルなら「ボレロ」、ドビュッシーなら「月の光」(遊戯や前奏曲や後期の練習曲、ソナタ等は大衆から見向きもされない)という看板は「扉」になりこそすれど、真に彼らの音楽を奏でている部屋へ続いているとは限らないということか。





文責:彦坂

 

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