専門家の体験/真の芸術家とは

2020/02/22



バタイユ曰く「哲学の弱点は、一つの領域での優越を獲得するために、他の諸領域でに関する無知が容認されるように願うこと」とある。
現代の情報化社会において人間の知識の総量は際限がなく、全てを総和することはほぼ不可能である。
できるだけ、「総合化」に向けて活動することこそが哲学であるとすれば、それは極端に言えば「生きること」と矛盾するのではないか。
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なぜならば、「生きること」にはあまりにも雑事が含まれ過ぎているから。

そこで専門家は自ら外界から遮断された領域(聖域)を作り出し、その中に入らずば「専門家」にあらずという態度を取ってきた。

その良い例は【現代音楽】である。
学界、スクールに属さぬものには語る権利すらもなく、素人には分からない。
と特殊専門化することにより彼らは自らの身を守ってきたし、今もその中から出るつもりもなさそうである。

いや、特殊専門化自体が悪い訳ではない。
ただし、「音楽」を置き去りにした現代音楽は既に「音楽以後」になってしまったのである。

メシアンと武満は重要な言葉を共有していた。
それは「官能性」である。
ロマンティックではないということだ。

ここが失われたロジカルなだけの音楽には全く強度(熱量)は失われている。

但し、誤っていけないのは「官能性」という言葉が「論理的推考」を単に回避するための言い訳になってはならない。

寧ろ、専門化というものはひたすら論理的に攻めていくことでしか追求はできないものである。ただ、そこに「官能性」との交錯が在るか否かが重要なのである。

その結接点にこそ、真の芸術や哲学が見えることであろう。
効率性の追求だけでは実に心許ない。
官能性とは何かをも考え、感じ続ける欲望の継続のみが安逸なアカデミズムへの転落を防ぐ道なのである。



文責:彦坂

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