旋法の深みと音楽の神髄

2020/05/07

私が一番尊敬している作曲家の菊田裕樹さんの作品を見ていると未だに新たな発見があります。
実は「コード・ネーム」は「牢屋の鉄格子」みたいなもので、それをすり抜けていくのが「メロディー」です。
その次に考えるのは鉄格子をいかに弛ませるかです。...
4度、5度和声や2度和声もいいのですが、それも所詮は格子のすり替えに過ぎません。もっともっと自由に蠢いていていいのです。
非常に有機的にメロディーとコードが絡み合わさってくるところに「旋法」の本質や「官能性(センシャリティ)」が存在します。

また、私は現代音楽も否定はしません。
音を点描の様にしたり、ある規則に従って並べたり、集合の音響体として捉え変調させていくのも一つの試みとしては面白いと思います。

ただ、そこには音楽の本質はありません。
今は傍流が雑多に絡み合った時代、それが政治や経済、人間社会にも現れているのです。
旋法を学ぶということは「ウタ」を思い出すということ。
人間存在の「根源」はそこにあるのです。
自然界と人間はやはり本来は相容れないものなのでしょう。
「家具の音楽」や「設置音楽・サウンドインスタレーション」も一時の流行りで終わることは論をまちませんし、一流の音楽家は最後にそこに気付くはずです。

勿論、「A.I.」に乗っ取られる様な甘いものではありません音楽は。

音楽家が音楽を信じられない様ではお話にならないのではないかと思うのです。



文責:彦坂



 


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