【「交響曲」にルールなどはない】「交響曲 第一番 The Border」(2016) 菅野祐悟 作曲

2023/11/02

指揮:藤岡幸夫
演奏:関西フィルハーモニー管弦楽団
I: Dive into myself
ll: Dreams talk to me
lll:When he was innocent
lV:I am

予想通り、(恐らく)クラシックファンの「交響曲になっていない」等のレビューも多いが、これだけ混乱し、境界線もなくなった現代にそもそも「型」を守って書くことに意味などあるのだろうか...。
調性(しかもメジャーがマイナーだけ)の有無やらソナタ、ロンド、フーガなどの形式・様式美というものは確かに存在する。
また、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンやブラームスが脈々と受け継いだ血統の様なものも確実にある。
保守的な人間の意見も理解できる。
しかし、ジャンルというのは明確にルールが規定されている訳ではないのだ。
昔の作曲家ですら「平均律のピアノを入れるのは邪道だ」、「例外的に一楽章しかない」などの評論家や外野がかけてくる圧力と幾度となく闘い、ある人は書くのを諦め、ある人は殻をぶち破って書いてきた。
印象派あたりのドビュッシーやラヴェルは「古めかしいもの」として書かなかった、若しくは書けなかったが、本当の大きな理由は過去の先達への敬意(畏れ)や、周囲の評価を恐れてのことであろう。ロマン派(あたり)の作曲家でさえ、遠慮して「交響詩」というタイトルにして矛先を逸らしている。

菅野さんは「劇伴作曲家」というレッテルを貼られており、しかも現代日本を代表する売れっ子。 わざわざそんな危険を犯す必要もなかったのである。
それでも彼は「書きたかった」し、形にして発表した。
これだけでも相当な勇気である。
このお陰で、「ロックバンドくるり」の岸田繁さんも交響曲を書くことが出来た。
菅野さんはオーケストラというパレットを使って自分なりに「交響曲」を描き出したのだ。
しかも、変に改まることなく普段使っている手法を更に突き詰めていて、劇伴にはなかなか見られない手法も随所に散りばめている。

ベートーベンを聴きたい人は延々とベートーベンを聴くことが良いし、分析に明け暮れれば良い。勿論、それと比べて高みから評価するのも自由である。
最も大切なことはこれが菅野さんという「才能」にとって音楽語法や表現を磨く切っ掛けになったであろうこと。書いたって殺されはしないということを知ったことであろう。
新世代はベートーベンやブラームスなんて聴く気もしないことが大半である。
そこに、へぇ「交響曲」というものがあるのかと知らしめただけでも大きな功績と言うべきである。
是非、交響曲をライフワークの一部にしてほしい。書ける人もそれが演奏される人も「選ばれた存在」に違いないのだから。


 

文責:彦坂
 

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