既存の和声学や対位法理論書の問題点

2022/02/26


私は一つ一つの作品自体や個人にケチを付ける気は毛頭ありませんが、一貫して言えるのは「教育者」の都合で書かれているということです。
大きな流れを言うと時代や地域によって「何が美しいか」は異なるのです。
ハーモニーや対位法にしても本は「完全五度や四度」が基軸で作られる音楽が美しいとされていました。
それがイギリスのジョン・ダンスタブルが「三度・六度」の調和をヨーロッパに伝え(これも歴史書に書いてあるだけなので鵜呑みにする必要はありません)、次第にそちらの方が流行ったというのが事実なのです。
当然、前者においては連続五度や不協和なクラッシュも問題になりません。
禁則でも何でもなく、そちらがメインであり、寧ろ三度・六度が汚いと言われていたのです。

私は一応30前に念のために音大に入りましたが、基本は独学です。10年以上も。
あらゆる市販の理論書を漁り、一時期は神保町にある音楽古書専門の「古賀書店」に毎日通いつめ、バイトで稼いだお金は全て注ぎ込んでいたのでそれが手に取る様に分かるのです。

酷いのになるとJ.S.バッハもモーツアルトもベートーベンもあたかも同じルールで音楽を書いていたかのような表現が見受けられますが、それは明らかに「誤り」です。
それを質さないのは後世の先生の怠慢としか言いようがありません。

皆さんは少し頭を柔らかくして「様式」や「時代背景」にも興味を持ってください。
そうしていくうちに、受け身の学習から自己選択の「学び」に変化していきます。
これはジャズにおいても同様です。
バークリースタンダードなどジャズのほんの一部しか説明できていないのです。
古典的な部分の体系化や整合性は見事なものですが、少し外れてモード(旋法)やブルースの話になるとまともに説明できる先生はあまりいません・・・。
何でも常識やレールに乗って行く方が楽ということなのでしょう。

また、商業音楽は自由と思っている方も多いかもしれませんが世界的な作曲家ですら、やはり権威の枠から出られないものだなぁと実感する出来事がありました。

つまり、最後は自分の耳を信じること。
採り入れるかどうかは権威が決めるのではなく自分で決めるということが大切です。
有名になるとか成功したとかそんなことは運でしかないのですよ。
音楽はスポーツでも科学でもありません。
重なるところは在れどイコールではない。これは確信を持って言えます。
大局でものを見ることを知る人はあまり見たことがありません。
普段私はキツイ言い方をしていますが、そのくらいしないと誰もそれに気付かないからです。
はっきり言って日本人というのは「個性」を嫌います。個性的というのはレールに乗った上で良くできている程度のものばかりです。
アスリート的に楽器が上手いとか、作曲が上手い人が誉められていくのは明らかにおかしい。
いつの時代も本質を見るというのは疲れるものです。極端に触れてから中心が見えてくるということもあるのです。




文責:彦坂

 

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