​ ​【終止感とは何か?】 山下邦彦の「チック・コリア分析」

2019/07/04


山下邦彦さんの「チック・コリア分析」は通常の音楽学校では教えない「研究の仕方」をたくさん学ぶことができる。

大切なのはこれらの響きを感覚的に体得し、自己の言語にまで落とし込めるかどうかなのだが、前段階としてひたすら分析をしてみるというのも興味深いことだ。

彼はチック・コリアの「モード(旋法)手法」には機能和声では説明しきれない「音のグラデーション」による感情変化を何とかシステムにしようと試み、ある程度成功していると感じる。
その際にカンディンスキーの絵画等の「喩え」を出してくるところで、音楽だけをやっている読者は「拒絶反応」を示す可能性もあるのだが、本当に音楽を言葉に変換するということは容易ならざることなのである。

彼は譜例の「D/B♭➡Bm」の「D/B♭」はドミナント・サウンドと同じ様な効果があると解説している。
そこにトライ・トーンは存在していないが、「F# Alt.7(#9/♭13)」と同様の特性を持っているためそう聴こえてくるというのは事実その通りなのである。

しかし本来、モード(旋法性)は「ドミナンス」という概念から解き放たれる為に使った方が面白いのである。
ラッセルの概念から見てみるとこれは「♭方向への移動+# 方向への移動」により得られる「解決感/解放感」という様な見方をする。

ベースの完全五度や半音移動、トライトーンから「メジャー・マイナー型」への解決だけが人間に解決感を感じさせる唯一の手段ということではなく、調性がどちらを向くか相対的な動きで相手の心を動かすことができるのである。

これはまるで怒っている相手をニュートラルに戻したり、笑顔に変えたり、はたまた更に怒りを増幅させたりするのにも似ている。
それを更にシュールにいきなり「消えて居なくなったり」、突如、狂って踊り出したりするようなものも「音楽」である。
と言い始めたのが「現代音楽」の起源なのかもしれない。

100歩譲って確かにそれもアリだなとも思うが、一般受けしづらいのは仕方がない。

アカデミズムは聴衆との共通認識を増やして行く努力をもう少ししてみては如何だろうか。
あなたが怒っているときに(例えば)恐怖を紛らわせるために踊り出す。
という「選択肢」もあるのだよと。
普通ではないけれど拒絶しないでくれよと。

音楽が布教活動に似てくるのはこんなところに起因するのかもしれない。



 

文責:彦坂
 

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