「ファンダメンタルな楽曲分析入門」 沼野雄司(音楽之友社)

2023/11/04



よく作曲学習者を戸惑わせる「形式」について、「本人はそんなに厳密に考えていない」ということを言ってしまった画期的な著書。
私もそう思う。

バッハが「ルールを意識してフーガを作ったか?」、ベートーベンが「お手本ソナタ」を書いたか?
答えは「否」である。
彼らは即興でも作ろうと思えば作れたのであるから。ショパンだって大概が即興で弾いたものを書き起こしている。
現代の作曲家、ポップスの作曲家も優秀な人はあらゆる過去の楽曲構成が「肌」に染み込んでいて、その中から気の向くままに書いているのが普通であろう。
和声実習や学習フーガに一切面白いものがないのは当たり前のこと。
これは三部形式で書きました等とは言うのは結果論に過ぎないし、何を「部単位」にするかも人それぞれ解釈が異なるのである。
「作曲」とは知性と肉体、生理的欲求がプログレッシブに発露した結果なのである。

よくある音楽学者の「勘違い」に、ベートーベンは「自由なソナタを書いた」とか、「バッハの作品に典型的なフーガは一作もない」などという批評があるが、そもそも彼らにとって、形式から入って書こうなどという発想は微塵もなかったであろう。(目安やきっかけ程度にはあっただろうけれど)
フォーマット自体はあるにしても、それに縛られて書くことほど愚かしいことはない。
「さぁソナタを書こう」と言って書いた訳ではなく、後生の理論家が勝手に規則性を見つけ出し、そこに填まらないものは「自由な~」などとネーミングをしているだけで、その分析には何の意味もない。
「バッハだから許される」、「モーツァルトは天才だから」...彼らにも駄作や拙い作品はたくさんある。
教育上都合の悪いものは見せないのは教師の悪い癖かもしれない。

形式主義に走り過ぎては本末転倒なのである。
作曲は人生と同じ、予想外の出来事があったり、余計な寄り道やアクシデントがあるからこそ面白い。
芸大和声やらフーガの技法なんて教本は一度眺めれば充分。
後は日々のトレーニングの材料として使うとか割り切って使うこと。理論を学べば作曲ができるほど、作曲はつまらないものでも簡単なものでもない。
バリバリのアカデミズム出身のはずの沼野さんの大胆な勇気に拍手を送りたい。
出てくる譜例がベートーベン、ヴェーベルン、ペンデレツキという極端な選択が面白い。



文責:彦坂
 

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